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「今日はパンケーキです。波瑠さん、好きでしょう?」
「パンケーキ! 好き!」 波瑠が席につくと、千颯はパンケーキの乗ったお皿を波瑠の前に置いた。小さなサラダもあり、マグカップにはコーヒーが淹れられた。二枚重ねのパンケーキにはメイプルシロップがかかっている。 完璧だ! 波瑠は拍手したいような気持になりながら、ナイフとフォークを手にした。 「パンケーキはバターで焼いたので、敢えてバターは乗せていません。どうぞ」 「おいしそう! いただきます!」ぱくりと一口食べると、口の中にバターの味と香りがふわっと広がった。バターの味がちゃんとする! おいしい! 生地はほんのり甘く、食べると口いっぱいに優しい甘味が広がった。メイプルシロップがかかっているところは、濃い甘い味がして、それもまたおいしかった。
「どうですか?」 千颯が心配そうに訊く。 「おいしいよー ふわふわ~」 「ヨーグルト、入れたんですよ」 千颯は嬉しそうに微笑んだ。波瑠は社会人になってから、朝ごはんはカロリーメイトを食べればいい方で、お菓子を食べるくらいですます日やコーヒーだけの日も多かった。
きちんと坐って食事をとってもいなかった。 祖母が生きていたときは、きちんと食卓について祖母と一緒にごはんを食べていたが、祖母が亡くなって、そういう習慣を次第に忘れていっていたのだ。私、どうして忘れていられたんだろう? おいしいものを誰かと一緒に食べるのはこんなに幸福なのに。
波瑠は思う。 恋人がいないと生きていけないような渇望もない。 今は毎日が幸せだった。 おいしいもので満たされていた。 どうして黒岩みたいな男とつきあっていたんだろう? おいしいものを食べていれば、あんな男なんていらないわ。 波瑠は少し前の自分が全く信じられなかった。千颯は波瑠の前で、やはりおいしそうにごはんを食べる。そうして一緒に食事をする相手があるのも、とてもいいものだと波瑠は思っていた。
千颯の料理は特別凝ったものではないが、心がこもっていて一生懸命作っているのが分かる、あたたかいものだった。千颯が料理をしている気配を感じるのも好きだった。実のところ、「波瑠さん、ごはんですよ」と声をかけられる前から、波瑠は目を覚ましていて、台所の幸せな音を聞いていた。 包丁の音、水を流す音、何かを煮たり焼いたりする音、食器を並べる音。 台所の幸福な音を布団の中で聞き、そしてにおいをかいで、朝ごはんが何かを想像するのが、今の波瑠には何よりも楽しいことだった。 パンケーキの今朝は、甘い香りが漂って来て、なんとも言えない期待感で胸がいっぱいになった。波瑠はパンケーキが大好きだった。「ねえ、このパンケーキ、ホットケーキミックスじゃないわね。味が違う」
「ホットケーキミックスじゃないですよ。薄力粉とベーキングパウダーと卵とヨーグルトと牛乳を混ぜて焼いています」 「だから、この味! 幸せ。メイプルシロップが合うわ。いつもありがとう、千颯くん!」 「どういたしまして。……僕こそ、ここに置いてもらえて、ほんとうにたすかりました」 波瑠は千颯と顔を見合わせて、ふふふと笑った。 すると、足元で「にゃー」という声がした。 「キャンディ! あなたもいてくれて嬉しいわ」 ともかく、毎日おいしく幸せなのである。 ごはんを作ってもらう代わりに、波瑠は千颯を家に置いてあげることにした。 波瑠は、家賃よりも食事を作ってもらう手間賃の方が高い気がしたが、千颯は相殺でいいと主張した。また、光熱費に関しては、以前と比較しなくては分かりづらい部分があり、差額がさほど高額でないなら、光熱費は家賃に含むという考えにしましょう、ということになった。 千颯は遠慮したが、お金もないらしく「すみません、ありがとうございます」と言いながら受け入れた。「いや、私は足りないと思うのよ」
「そんなことないです」 「いやいや、ほら、料理代行の金額って、一時間三千円くらいよ」 波瑠はウェブページを見せながら言う。 「……僕は仕事として料理をしたことはないですし。……ほら、安いのもありますよ。ここは一時間千三百円くらいです。僕、プロみたいな料理は出来ないから、あまり高く設定されてもプレッシャーになります」 千颯がそう主張し、この辺りの家賃も鑑みて、食費を波瑠が負担する形で収まった。 つまり、千颯は食事を作り、波瑠は食費や光熱費を払う。「ほんとうにいいんですか?」
「うん。千颯くんが馬鹿みたいに食べるんじゃないなら」 「そんなに食べません。むしろ少食だと思います」 「ならいいわ。千颯くんはここに住んでごはんを作り、食費と光熱費は私が負担する、と。掃除は当番制にして、洗濯は各自ですればいいわよね。そうそう、お皿の片付けは私がやるね」 「お皿の片付けは僕がやりますよ」 「いやいや、私が」 結局、お皿は使ったものを各自洗い、鍋類は千颯が洗うことになった。波瑠は、実際ほんとうに生活し出したら、どうなのかな? と思わないでもなかった。口先だけでごはん作ってくれないとか散らかしやで掃除はしないとか――ほんの少しだけ不安に思う部分もあった。
しかしそれは全くの杞憂であった。 ごはんの支度は朝晩きちんとしてくれるし、掃除に関しては波瑠よりもきれい好きなくらいだった。 そしてまた。 千颯はいるのかいないのか、存在をあまり主張しない性質だった。 いつも静かにそっとそこにいるような感じ。 「植物みたい」 波瑠は、千颯のことをそう思っていた。 まるで、植物みたいに静かにそばにいて、そして波瑠の感情を読み取り、おいしいごはんを作ってくれる。 ……なんて、居心地がいいのだろう? 波瑠はそのことにひどく安堵した。最初に千颯を寝かせた(そして波瑠も寝てしまった)、玄関を入ってすぐの和室を千颯の部屋にした。縁側に面していて陽当たりもよく、庭の花や樹木を見ることも出来る、大変居心地のいい部屋だった。
「こんな素敵な部屋……いいんですか?」 「うん、いいのよ」 波瑠は、かつてこの部屋に住んでいた祖母を思った。 いいよね? おばあちゃん。 だって、ごはん作ってくれるんだよ! いいよ、という祖母の返事のように、庭の紅葉が揺れて赤い葉を散らせた。波瑠が目を覚ますと、台所で何か音がしていた。ごはんを炊く音が聞こえたような気がする。今日の朝ごはんは何かな? と期待して、波瑠は布団の中で千颯が起こしに来るのを待っていた。 今日は千颯くんと水族館に行くんだ! と思うと、自然に頬が緩んだ。 楽しみだなあ。どの服を着て行こうかな。 ……昨日は、お母さんたちに会って、ほんとうに驚いたし、緊張した。真珠も琥珀も、私のことを慕ってくれていることも分かっている。だけど、実家に行くのは緊張するし、嫌なことを思い出すからつらい気持ちになってしまう。 ――でも。 今度実家に行くときは千颯くんと一緒に行けばいいんだ、と思うと、なんだかほっとする。それに、彼氏だって思われても嫌じゃないって言ってたし。昨日も今日もデートだし!「ふふ」 布団の中で、一人で思い出し笑いをしていると、「波瑠さん、ごはんですよ」という千颯の声がした。「はーい! 今行くね」 波瑠はベッドからするりと下りて襖を開いた。「おはよう、千颯くん」「おはようございます、波瑠さん。今日もいいお天気ですよ」「お出かけ日和ね!」 寝間着のまま台所へ向かうと、朝食が既に用意されていた。 ロールパンに、ゆで卵をマヨネーズで和えたのと、ハムときゅうりが挟まっていた。それから、キャベツのコールスローサラダ。ミルクコーヒーも準備されている。「おいしそう!」「さあ、食べましょう」「いただきます!」 波瑠はロールパンを一口食べた。ゆで卵の味とハムの塩味が、ロールパンのほのかな甘味と合わさって、日曜日の朝のお腹に染み込んだ。「おいしい!」「よかったです」「あ、でもね、朝、ごはんを炊く音がしたんだ。ごはんの炊けるにおいもしたんだよ。だから、今朝はパンじゃなくてごはんだと思っていたの」「あ、それは――内緒です」「内緒なの?」「……まあ、あまり内緒になっていませんが」 千颯の視線の先
「ねえ、あんまりお腹空いていないの」 家に着くと、波瑠はとても残念そうに言った。「そうですね。とんかつは結構ボリュームありましたし、あの後、甘い飲み物も飲みましたしね」 千颯はくすりと笑いながら言う。「うう。晩ごはん……!」「今日は食べるの、やめますか?」「いや、それは! 千颯くんのごはん、食べたいよぅ」 波瑠は、実家に一緒に行って欲しいと言ったときと同じ顔で千颯に甘えるように言った。それが嬉しくて、千颯はからかうように言う。「でも、お腹いっぱいなんですよね?」「ううん、ちょっとだけ食べれる感じ?」「……雑炊にしましょうか?」「ごはんちょっとで、野菜いっぱいだといいな」「今すぐ食べますか?」「うん、今ちょっとだけ食べたい」「じゃあ、今から作りますね」 千颯が台所に行くと、「にゃー」とキャンディがすり寄って来た。「あ、キャンディにかりかりあげるの、忘れていた。ごめんね」「にゃっ」 ふわふわの白と薄茶の毛並みの温もり。 キャンディに初めて会ったときの心細さを、千颯は思い出す。 あのとき、金茶の目が千颯をじっと見て、思わず抱き上げた。ウィンドブレーカーの内側に入れたら、あたたかくて。……キャンディと出会えてよかった。もし、あそこでキャンディと出会っていなかったら、僕は波瑠さんちに辿り着けていなかったかもしれない。「キャンディ、おいしい?」 千颯はそんなことを考えながら、懸命にかりかりを食べているキャンディの頭を撫でた。 それから、冷凍してあったごはんと、鳥ガラスープの素、水菜とえのき茸と卵で、簡単な雑炊を作った。「千颯くん、おいしい! 熱いけど」「火傷しないようにしてくださいね」「うん、大丈夫」 波瑠さんと一緒に食べるごはんはどうしてこんなに幸福なのだろう? 波瑠と一緒に住むようになって、千颯は、自分がこれまでどれほ
聖羅に会うことを心配していた千颯だったが、ばったり会ったのは、波瑠の家族だった。「波瑠、久しぶりね」「お久しぶりです」「元気だった? ちっとも来ないから」「元気です」「……そちらは?」 波瑠の母親は千颯に視線を向けて、そう言った。「あ、うん。今、一緒に住んでいるの」「え? ……そうなの」 波瑠の母親も驚いたようだったが、千颯はもっと驚いた。 ……その言い方だと、きっと彼氏だと思われてしまう。波瑠さんはどうして適当な嘘を言わなかったのだろう? いくらでも嘘が言えたのに。「お母さんも、お父さんも。それから、真珠も琥珀も元気?」「元気よ。変わりはないわ」 と波瑠の母親が言い、父親は頷き、高校生くらいの女の子の方が「今度高三になるんだよ、お姉ちゃん。琥珀は今度高二だよ」と言った。「二人とも、勉強頑張るのよ」「ねえ、お姉ちゃん、またうちに来てよ。真珠、話したいことがあるんだよ」「今度ね」「約束だよ。琥珀だって、お姉ちゃんに会いたいって思ってるよ!」 琥珀は真珠の横で少し照れくさそうにしていたけれど、波瑠に会えて嬉しそうなのが、千颯にも感じられた。「うん、分かったわ」 波瑠はそう言ってにっこりすると、またいくつかの会話を重ねた。そしてその後、「じゃあ、またね」と手を振った。「お姉ちゃん、またね!」 という真珠の声がよく響いていた。 波瑠の家族が視界から消えたと思ったら、波瑠が千颯の手を握った。「……波瑠さん?」「――緊張した……!」「波瑠さんの、お父さんとお母さんときょうだい?」「そうなの。……私、中学生になったときから、今の家でおばあちゃんと暮らしていたから、一緒に暮らした記憶が遠すぎて。……緊張しちゃうんだよね」「そうなんですね」 千颯は、波瑠が以前に「あの家には私の居場所はない」と言っていたことを、悲しく思い出していた。波瑠さんが家を出た理由は何だろう? ――いつか波瑠さんが自分から話してくれるまで待とう。「真珠も琥珀も大きくなったなあ。びっくりしちゃった。……何年も会っていなかったから」「またうちに来てよって、言っていましたね」「う~~~~行きたくない
本屋を見て服屋を見て。 その他、気になるお店を二人は見て回った。そして映画館のある階に着いたとき、波瑠は言った。「ねえ、千颯くん、映画観ない?」 千颯は、すぐに「いいですよ」と答えることが出来なかった。「あの……」「ん? 観たいの、ない?」「……そうじゃなくて、僕、暗いところが怖いんです」 千颯は思い切ってそう言った。波瑠は千颯の次の言葉を待って、千颯の顔を見て黙っていた。「……継母が夜中に僕のことを触っていて気持ち悪かった、と話したと思うんです」「うん」「頰を触られただけだけど、気持ち悪くて。僕、それ以来、夜眠るときはベッドをドアの前まで移動させて寝ていたんです。――入れないように。だけど、夜、ドアノブが、がちゃがちゃってすることがあって――だから、暗いところは……」 暗がりにいると、あの光景を思い出してしまう。 恐怖心と一緒に。 千颯が言葉を詰まらせると、波瑠は千颯の手を両手でそっと包み込むようにして、言った。「ごめんね、千颯くん、つらいことを言わせてしまって。……大丈夫よ、分かったから。映画はね、おうちで観ましょう」 波瑠は千颯の顔をまっすぐに見て、にこりと笑った。「波瑠さん」「暗いところはやめて、ごはん食べに行こう?」「……はい!」 二人は自然に手をつないで歩き出した。 波瑠の手から、あたたかい気持ちまで伝わってくるようだ、と千颯は思った。「ねえ、千颯くん。もしかして雨戸を立てずに眠ることが多いのも、そのせい?」「……ごめんなさい。雨戸を立てると、真っ暗になってしまって……怖くて。電気を点けたままだと、なかなか眠れなくて。でも、自然の月明かりならぐっすり眠れるんです」「じゃあね、これからは悪天候じゃない限り、雨戸は開けた
千颯はごはんを作るとき、いつも波瑠の顔を思い浮かべていた。 波瑠さんはどんな顔をするだろう? 喜んでくれるかな? 好き嫌いのない波瑠は、だいたい何を作っても嬉しそうな顔で「おいしそう!」と言ってくれるのだけど。そして、ほんとうにおいしそうに食べてくれる。 三月に入った土曜日、千颯は今日の朝ごはんは何しにようかなと考えていた。 最近、週末はのんびり朝ごはんを食べて、二人でゆっくりとコーヒーや紅茶を飲むことが多かった。その時間はとても穏やかないい時間だった。 買ってから少し時間が経ってしまった食パンが目について、千颯は、一瞬焼こうかと思ったけれど、ふとフレンチトーストにすることを思いついた。フレンチトーストを作るのは初めてだった。 波瑠さん、喜んでくれるかな。 ボウルに卵と牛乳と砂糖を入れて、よく混ぜる。それからそこに、四つに切った食パンを浸す。熱したフライパンにバターを入れて溶かし、そこに卵液に浸した食パンを手早く入れていく。残った卵液をパンの上にかけて、一緒に焼く。 焼き色がついたらひっくり返し、裏面も焼く。 あっという間に出来る、お手軽なフレンチトースト。 サラダを盛りつけ、フレンチトーストを乗せ、コーヒーメーカーをセットする。 それから千颯は波瑠を起こしに行った。 襖越しに声をかける。「波瑠さん、ごはんですよ」「はーい! おはよう、千颯くん!」 襖ががらっと開いて、波瑠が元気よく出て来た。 波瑠さんは、起きているけど、僕が呼びに来るのを待っているときがある、と千颯は思う。それは甘やかな思いだった。「おはようございます」「おはよう。ねね、今日の朝ごはんは何?」「フレンチトーストです」「フレンチトースト! きゃー、初めてね。楽しみ」 波瑠はスキップをする勢いで食卓へと向かう。波瑠の後ろから台所へ向かった千颯は、「おいしそう!」という波瑠の声を聞き、満足する。「千颯くん、私、フレンチトースト、好き」「波瑠さんは好きなものが多いですね。これ、
遅い時間に朝ごはんを食べたので、二人ともお昼ごはんの時間にはお腹が空かず、お昼ごはんは抜いて早めの晩ごはんを食べることにした。「ねえ、晩ごはんは何?」「鍋にしようと思っています」「鍋! いいわねえ。ポン酢で食べるやつ?」「そう、ポン酢で食べるやつです」「きのこ、入れて欲しいな」「入れますよ。鶏団子を入れます」「鶏団子! あのね、鶏肉に生姜も入れて丸めて欲しいな」「鶏団子に生姜入れますよ。あと長葱も」「きゃーん、おいしそう! あのね、鍋には水菜入れるんだよね? お買い物で買ったから」「そうですよ」「楽しみ!」「すぐ出来ますから、波瑠さんはのんびり待っていてください」「わたし、シーツとかお布団とか、お片付けして待ってるね。それから、こたつで食べたいな、鍋!」「居間で?」「そう、居間で、こたつに入りながら」「いいですねえ」「あのね、卓上のクッキングヒーターがあるのよ。そういうの、準備しておくね!」 千颯が嬉しそうに笑ったので、波瑠も嬉しくなった。 波瑠はシーツや布団を片づけ、それから掃除機をかけた。猫がいるので、こまめに掃除をしなくてはいけない。「にゃー」 キャンディは掃除機をかける波瑠にまとわりついてきて、とてもかわいかった。「ふふ」 掃除機をかけおわると、波瑠は少しキャンディと遊んでから、卓上のクッキングヒーターを出してこたつの上に乗せた。 取り皿やお箸を用意しようと台所に行く。「波瑠さん、鍋出来ましたよ」「ちょうどいいわ! 私も片づけ終わって、クッキングヒーターも出したの」 こたつの上に置いたクッキングヒーターに土鍋を乗せる。 千颯が土鍋の蓋を取ると、ふわっと蒸気が立ち昇った。「いいにおい!」 鍋はくつくつ煮えていて、鶏団子と葱と水菜が入っていた。波瑠が好きな、椎茸とえのき茸も入っていたし、ごぼうのささがきや焼き豆腐も入っていて、湯気を立てていた。「おいしそう!」「昆布出汁で煮たんです」「ポン酢で食べる!」「はい、波瑠さんの好きなポン酢」「そう、このポン酢がおいしいのよね。味が濃くて柚子の味がちゃんとして」 二人は向き合って座り、鍋をつついた。「今日は土鍋をこれに使ったので、ごはんがないんです」「しめにうどん入れればいいと思うの」「そう言うと思って、用意してありま
「ただいま!」 がらがらと古い戸を開けると、「おかえりなさい、波瑠さん」と千颯が出迎えてくれた。 ああ、いつ見てもきれいな顔! それにうちに来てから、肌艶がよくなったみたい、と波瑠は思いながら「今日の晩ごはんは何?」と訊いた。 キャンディが波瑠の足元にすり寄ってきていて、それもかわいかった。「キャンディ、ただいま!」 千颯はキャンディを抱き上げると、にこりとして言う。 「今日は生姜焼きにしました。すぐに食べられますよ」 「きゃーん、生姜焼き! すぐ食べる!」 波瑠は自室に行き、スーツ
波瑠は高速で仕事をしていた。 いつもならもう少し休憩を入れながら仕事をするのだけど、とにかく早く家に帰りたかった。 ああ、今日の晩ごはんは何だろう? ふと、ごはんのことを考える。 じわりと甘いものが胸いっぱいに広がる。 メニューは訊いていない。「ただいま!」と帰ったとき、「おかえり、波瑠さん。ごはん、出来ているよ」と言われ、そのにおいでメニューを想像するのが楽しみだからだ。キャンディと一緒に出迎えてくれる千颯の顔を想像すると、なんとも言えず幸福な気持ちになった。 ああ、幸せ
その日、波瑠は会社に来たときから、お昼を楽しみにしていた。 何しろ、今日はお弁当があるのだ! 昨日、千颯が深刻そうな顔で「波瑠さん、お願いがあるのですが」と言ったときは、てっきりこの、波瑠にはパラダイスな生活から抜け出したいのかと思った。ごはんを作るのが嫌になったのかと。 しかし、そうではなかった。「何、千颯くん」 「お弁当作らせてください。……いいですか?」 「お弁当! いいに決まってるじゃない! ていうか、私こそいいの? って思うけど?」 「はい。……あの、僕の分も作っていいです
……なんか、いいにおいがする。 波瑠は自分のベッドで目を覚ました。 これ、ごはんの炊けるにおいだ。 ……ごはんの炊けるにおいなんて、久しぶり。――あれ? 波瑠はあることに気がついて、がばっと起きて、台所に行った。「波瑠さん」 台所では、千颯がおにぎりを作っているところだった。 「おにぎり……」 「あ、勝手にごめんなさい。……でも、僕お腹が空いて。で、波瑠さんもお腹が空いているかなって思って。台所を見たら、お米があったのでごはん炊いたんです」 「おにぎりは嬉しいよ。お腹空いたから。で







